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大明◎物語since1984

■無名貧乏画家が世界的な著名画家へ成るまでの物語を、リアルタイムで楽しむ、新しい形のエンターテイメント!?【1984〜2016年 下積み編】

 

 

さて「この物語」は1984年から始まり、現在は2016年。

主人公の名前は「大明(ひろあき)32歳」、無職独身、実家暮らしの自称画家。 

 

かれこれ10年、画家・創作家(クリエイター)を名乗っており、

それなりの受賞やイベントにも出させていただきました。

しかし、画家としての収益はほとんどなく、

それどころか闇雲に走りすぎて毎年数十万の赤字です。

 

果たして「大明」は、紆余曲折を経て、世界的な著名画家と呼ばれるまでに成れるのか!?

その物語を、どうぞリアルタイムで、お楽しみください。

 


あらすじ【1984年〜2016年】

 

1984年に愛知の片田舎で生まれ育ち、21歳の時に絵の専門学校を中退した大明。

エアブラシとパソコンを武器に、様々なイベントや公募展に参加するも、

目立った戦歴を残す事はできず、「25歳になっても何もなければもう辞めよう。

とまで考えていたが、25歳すんでのところで、

多治見市文化会館主催の「アートスクランブル19賞」に救われ、活動を継続

 

しかしその後も迷走に次ぐ迷走

カスタムカーショーでのエアブラシペイントや、

お祭りでのボディペイントにライブペイント。

イラストの制作や名刺、チラシのデザインなどもやった。

成るように成る」のポジティブシンキングが完全に裏目に出て、

成るものが成りすぎ腐ってしまったのか、

キャンバスの前に行くと体が動かなくなる病気」にかかる。

 

その後もなんとか公募展への応募などは続け、画歴は厚くなり、

町興しの壁画プロジェクトなどにも参加させてもらい、

作家としては華々しい生活をおくる。

しかし社会人としては未だ底辺

最低限のアルバイト収入が主な活動費で、一人で生活はできないレベル。

 

そこで一旦、地元愛知を離れ

大阪の造形屋(遊園地の建物、店舗の立体看板や壁画などを制作)で生計を立てながら

作家活動を続けてみる事に。

 

だが悲しい事に、絵と向き合うどころか、

仕事99%、作家活動1%の日々になってしまう。

そんな中、中部地区最大と謳われるアートイベントに、招待作家として参加が決定!!

その後もあれやこれやが重なり、3年と半年で、仕事を辞める事を決意

そして、何も解決されないまま、しかし確実に成長し、実家の愛知に戻ったのであった・・・!

 


再編成をし望んだ2017年の大明◎物語はコチラ◎
再編成をし望んだ2017年の大明◎物語はコチラ◎

※ 

登場人物は全て実在しております。

掲載許可を得てない方は仮名を使用しておりますが、

万が一、不快な思いをされた方がおられましたらご連絡ください。

訂正させていただきます。


「一体何がしたいの?どこに向かっているの?」

「芸術=作品」であって、

「作家の活動」に興味を持つ人は少ないと思います。

 

私自身、作品至上主義で2016年までやってきました。

ですが私の場合、作品より「生き方」の方が

「面白い」のではないかと気付いてしまったのです。

 

そこで生まれたのが「大明◎物語」

「作家の活動」=「芸術作品」とした

当ブログの誕生です◎

 

 

作品の完成形はココ!!↓↓

●芸術大陸、日本!

ざっくり言うと、私は世界に「芸術といえば日本DAYONE!!

と言ってもらえるようにする事を最終完成形としています。

私一人では到底届かない作品です。絵が描ける描けないに関わらず、

みなさまの協力が必要不可欠です!

 

どうぞ、あなたのお力添えを、どうぞ宜しくお願いいたします!


 

 

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